--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スタイル

2013年05月28日 21:21

この記事はブロとものみ閲覧できます
ブロとも申請

Hobby, Hobbier, Hobbiest

2013年03月20日 15:40

趣味というのは奥が深い。

奥の深道である。

ドヤ顔でもうまいことは全く言えてません。



趣味には3つの段階がある、というのが私の持論です。



映画を見るのが好きな Hobby

映画館を巡る Hobbier

映画を撮ってみる Hobbiest

みたいなね。



サッカーを観るHobby、スタジアムに足を運ぶHobbier、チームに入ってみるHobbiest

音楽を聴くHobby、フェスやライブに通うHobbier、バンドや楽器をやってみるHobbiest

料理を食べるHobby、レストランを巡るHobbier、料理を作るHobbiest



趣味には、DO系と、受け身系とがあるけれども、受け身の趣味には限界があるように思います。

興味を持つのは、まず、受け身からでいい。

でも、一度興味を持ってしまったら、きっと、自分の身体を動かして「やってみる」のが大事なのです。

列車に飛び乗ってしまえば、あとはどうとでもなるから。



例えば、私は映画が好きでした。

ふと見始めた映画が楽しくて、のめり込むようにどんどんどんどん見ていきました。

最初はハリウッド。

そこからフランス映画、ヌーヴェルヴァーグへとなり、最終的にはトーキーまで見ました。

アテネ・フランセやユーロスペースといった単館上映やオールナイト映画会にも何度も足を運びました。

でもね、見れば見るほど足りなくなっていくのです。

どんどん渇いていく。

本を読んで、思想に共感して、技術を覚えて……そうやって、知れば知るほど、渇いていく。

足りなくなっていく。

そして気がつけば上から目線の偉そうな評論家気取りで、

減点方式で映画を見ては、ハリウッドはつまんないと一蹴するだけの、ただの偏狭な人になってました。

映画を見ること自体も、あまり好きじゃなくなっていきました。




あの時、何が足りなかったんだろうなー、と今考えてみる。

答えはすぐに出ました。

自分で、撮ってみればよかったんだ。

理屈ばかりこね回してないで、どんどんやってみるべきだったのに、

カメラ、機材、編集、人、時間もろもろのコスト。

そういうものに引っ張られて、私は結局、何もしませんでした。

あの時、私は確かにある熱狂をもって映画を見ていたけれども、

自分がしたことといえば、スクリーンの前で頭を空回りさせていただけ。

ただのインプットだけだったのです。

インプットを溜め込んで、その海に、一人で溺れていたのです。




インプットをしたものは、アウトプットをしなければならない。




これがそのとき、私が学んだ教訓です。

そうしないと、そのインプットが膿んで、腐って、腐臭を放つようになってしまう。

入れたものは、正しく処理して出してあげないと駄目なんだなー、と今ふり返って思うわけです。






だから、これはわたしからのDoのススメです。




好きになったら、撮ってみないと、本当の面白さは始まらない。

絵が好きなら描いてみればいいのだ。

小説が好きなら作ってみる。

楽しそうなら、走ってみる。

見る と やる の間には、大きな壁があるように思えるけれども。

でも、それは心理的な壁。

始めてみたら、そんなものはなかったんだと気づくことばかりです。



趣味にそんなに手間をかけたくない、時間を取られたくない、ということをたまに耳にいたしますけど。

手間と暇と労力をかけてこその「趣味」だと思います。

いいおとなが本気になっちゃうから、楽しいのよ!

……ちゅうてね?



趣味:読書。

自分でもそんなこと言っちゃうし、実際それもそうなんだけど、それはただのHobbyにすぎないのですよね。

Do系のレベルまで高めてる趣味をいくつ持てるか。

それは、すなわち、人生の豊かさのひとつの指標になるんじゃないかなー、と思う今日このごろなのです。

[ 続きを読む ]

Reason Why

2013年02月24日 14:47

ワイドショーのミヤネ屋が東京マラソンに密着して市民ランナーを特集している。

題して、36000人の走る理由!

マラソンが盛り上がるのを見ているのは、素直に嬉しい。

でも、それと同時に、なんともいえない違和感も感じたりした。



確かに、私たちは走る理由を持っている。

走り始めるきっかけがあったりする。


教員生活の最後のため。

震災支援をしてくれた感謝のため。


みんな、それぞれの思いを背負って走っている。

でも一方で、

そういうドラマティックなお題目だけをクローズアップしないで欲しいなーと、

私は、TVを見ながらぼんやり感じていた。



つらい と つまんない は違う。

キツイけど楽しいからやっているのだ。

楽しいからやってるだけ。

楽でもつまんなかったらやってはおらんのだ。



だから、わざわざ変な意味付けなんかする必要ない。

わかりやすいパッケージ商品にしないで欲しい。

そんなことしなくても、充分に、魅力は伝わるんだから。

走ることは、それだけで、そのことに価値がある。

とりあげるのなら、そこの価値を、きちんとわかってほしい。

そう思ったのだ。



走る前に、目的があるんじゃない。

走っている途中にこそ目的はあるのだ。

走った後に、ふと、自分の中にある何かに気づいたりするのだ。



ゴールをした後のランナーを映したって、そこに映るのは、抜け殻だけだ。

ドラマは走っている途中に起きている。

それはつまり、一番おもしろいことは、走っている最中に起きている、ということで、

あの画面には、一番楽しい、一番大事な所が映ってないということなのだ。



マラソンは、24時間テレビのチャリティの、

「つらくて苦しくて足が痛くてでも頑張ってみんなの為に走ってサライ~の空はぁ~!」

というイメージが強すぎるんだと思う。

そろそろ、そういうイメージから脱却してもいい頃だと思うんだよね。


もう、見てもらえばすぐに分かる。

東京マラソン走ってるファンランナーの楽しそうな様子を!

あの人たちのBGMにサライなんか、どう考えたって似合わないでしょやー!

アスリート気取り

2012年12月22日 12:35



マラソンのシーズンもすっかりドピークへと入りつつある。

走り始めてからというもの、季節への認識がズレてきている。

今までの感覚だと、

春に始まり、夏に本番、

秋に内省をし、冬に蓄える

だったのだけれど、

マラソンというのは秋―冬がレースシーズンなのだ。

なので、

春に準備し、夏に練習、秋に調整をして、冬に本番

という新しい暦感が、自分の中にも出来てしまった。


何なのでしょうね、この感覚。

日常生活とは別のロジックで動く、妙な季節感。


ほら、大学のエリートランナーが初夏まではトラックでスピードを磨き、

夏からは信州や北海道に合宿入りしてロードの距離を伸ばし、

速さと強さ、両方の能力を統合しつつ10月からの学生3大駅伝に突入していく、

みたいな刹那な季節感。


自分で言うのも何だけれど、

私は箱根駅伝とか世界選手権とかを目指しているアスリートでもなんでもない、

そこらへんの部活の陸上部のハイスクール・ボーイズ・エン・ガールズにも全然届かない、

(最近の高校陸上部の月間走行距離は300-400kmだそうですよ!)

それどころか走歴だって半年に毛が生えた程度で、

ジョグをすればクロッカスサンダルのおっさんに抜かれるようなクソ素人なのに。


そんなドシロートランナーでも、

「夏に距離を踏んでスタミナを養う!!」とか

「秋からはレペティションで絶対スピードを上げる!!」とか、

「スピード練習で、筋肉にいい刺激が入った!」とか、

口に出すフレーズは日本代表クラス並みで。


スポーツ店のシューズコーナーに行ってはサブ3棚で腕を組んで悩んでみたり、

スーパーでタンパク質や鉄分中心の食材を吟味してみたり。

ランナーにとって最高のスポーツドリンクは何だろうと成分表を睨みつけたり。

やることはすっかり、いっぱしのアスリート気取り。



でもね、そんな毎日が、たまらなく心地良いの。

世のアスリート達と同じ地平を見ていられることが楽しくてたまらない。

次元はぜーんぜん違うのだけれどもね。


そしてふと、思うのだ。

ああ、これってなんか、部活みたいだな、って。

大人の部活って、こういうんかな、って。




もう雪も降るんじゃないか、っていう気温になっても川で釣りをする人の数は減らない。

夏も冬ももやっぱり糸を垂らしてる。

フィッシャーという種族は、

1年中水面に向かって糸を垂らしてるんだと知ったのも、

川辺をジョギングし始めてからだ。

走り始めて初めて知ることって、意外と多い。

クソ寒いのにまったく物好きだなーと呆れつつ、

こっちもランシャツ1枚、北風にバタバタ揺らせて走っている。


体話と対話

2012年11月01日 00:56


ヨガでよく使う言葉に、

「体を内側から観察する」というのがあります。

観察。観て、察すること。

体内に架空の視覚を作ったり、

神経を集中したり、

筋肉と会話したり(「ピンポン」の中で復活したペコみたいにね)



イメージの形は人それぞれだと思いますが、

何より大事なのは、そのイメージをするという、その行為自体なのです。

普段向けてないところに意識を向ける。

自分の体を因数分解していく。

筋肉と関節をつなぐ関係代名詞を見つける。

骨格と筋肉を、接続詞で段落分けしていく。

大胆な要約と、緻密な展開。

体と意識はミクロにもマクロにも広がっていく。



そうして、いつの間にか、

あれ、自分の体って結構面白いじゃん、なんて思うようになるのです。




ランニングもヨガにとても似ています。

体との対話にこそ、真髄があるのです。

最近、ヨガとかランニングをする人が増えておりますよね。

それは、他人との競争ではなく、

カラダの内側を見つめ、自分が持っている身体資源をどう引き出していくかという、

非常に内省的なカラダへの関わり方の楽しさに、

みんな少しづつ興味を持ってきているということだと思うのです。



一般に、運動能力として検証したり査定している能力って、数値化できるものばかりです。

走る速さとか、跳んだり投げたりする距離とか。

勿論、競技としてのスポーツには、それも大事でしょう。

でも、人間の身体能力の中には数値化できないものっていっぱいあるんです。

95%くらいがそうなんじゃないかな。



走っていると

「これくらいの距離を走ると、こんなところが痛くなるのか」とか、

「もうダメかと思ったけど、ある地点を過ぎたら急に走れるようになってきた」と、

それまで知らなかったメカニズムを実感することができる。

そうやって自分のカラダが、

簡単には理解できないブラックボックスだなっていうことがわかるのはとても面白いのです。


タイムへの挑戦は、いわば、技です。

技のみを目標にしたスポーツは続かないというのが、私の経験です。

そして、技は、心と体を支える太い柱でもあります。

技を欠いたスポーツもまた続きません。


心と技と体を備えるにはどうしたらよいのか。

どう向き合っていけばよいのか。


 目標、     憧れ、

    達成、
        タイム、
対話、 
    友人、

 練習、    挫折、
 
    工夫、     努力、

           継続、

 指導、   勉強、

    経験、      挑戦、  

  情熱、    観察


心と技と体。

バランス。

時と場合と人によって、色々な取捨選択があります。

さて、今日は何を思って走ろうか。

無心に走る?

それもまた一興。

[ 続きを読む ]


最近の記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。